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アクアスキュータム 1851年、ジョン・エマリー(John EMARY)がロンドンのリージェント・ストリート(Regent Street)46-48番地に小さな高級紳士服店をオープン。53年、防水加工を施したウール地を開発。この素材で仕立てたレインコートがビクトリア時代の紳士達の最先端ファッションとして普及した。ラテン語で「水(Aqua)」と「楯(Scutam)」を組み合わせた造語で「防水」を意味する「アクアスキュータム(Aquascutum)」のブランド名はここから付けられた。54年、極寒のロシアでのクリミア戦争で防水性のコートが将校達に支持された。軽騎兵に突撃の合図をする際、もっと腕を動かしやすいようにとの要請で、ラグラン袖を考案したのもアクアスキュータムの裁断師である。 当時、着道楽で有名だったエドワード七世も、雨の日のセント・ジェームズ宮殿で側近達の着ていた水を弾くコートに魅せられ、ここからその名声がヨーロッパの王室に広まった。97年、エドワード七世(当時はエドワード王子)から王室御用達の勅許状を賜り、名実ともに英国を代表するブランドとなる。90年代の終わり頃、古い仕立て屋の店舗から、現在の住所であるリージェント・ストリート100番地の角のビルに移転。 紳士物のコートを作ってから60年を経た頃、さらに防水加工の施されたな婦人物のコートの生産も開始。 1927年、アクアスキュータムでそれまで主流だったウール地に加え、第1次世界大戦中の塹壕戦の時に着用され有名になったトレンチ・コートを男性・女性両用に改良して発表。48年、ニューヨークに進出し、エンパイヤ・ステートビルにショールームを構えたが、間もなく東37番街に移転。その後、さらに広いスペースを持つ五番街に再度移転。カナダのモントリオールには、北アメリカ大陸中の何百という小売店に商品を供給するための工場を建設。 20年から36年にかけてエドワード七世の孫にあたる後のウィンザー公から、さらに52年には皇太后陛下からも王室御用達の勅許状を賜る。 53年5月29日、エドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイはエベレスト山を征服したが、その時着ていたフードつきのジャケットとズボンは「ウィンコル D.711」という木綿とナイロンを混紡した布地で作られていた。風洞実験で時速100マイルの風力に耐えたこの素材は、後にアクアスキュータムのレインコート地に使われた。 2000年、イギリス人デザイナー、マイケル・ハーツがレディース・チーフデザイナーに就任。2001年冬、「リミテッド・コレクション」シリーズを発表。「リミテッド・コレクション」とは、アクアスキュータムが歴代の逸品を集めて保存しているコレクションである「アーカイブ・コレクション」から得たインスピレーションをもとに、これを現代風にアレンジしたコートのコレクションである。同コレクションのその後の生産予定はない。 現在、アパレル全般をはじめ、眼鏡、筆記具、靴、寝具、ジュエリーなど様々なアイテムを展開。日本へは60年代に進出し、サブ・ライセンスは21社にものぼる。2002年秋、ライセンスウォッチの新ブランドとして、シチズン時計株式会社の販売子会社であるシチズン商事株式会社より、「アクアスキュータム ウォッチ コレクション」を発表。 align="center">
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